一青窈 Live Tour 2004〜てとしゃん〜3/5@香川県県民ホール・グランド
texit●aco nagata  photo●nao kadoya

“一青窈”という芸術世界
『幾多の苦難を乗り越え、人々に感動を与える人気絶頂のアーティスト!フジ子・ヘミングと一青窈。二人の音楽は、なぜ、聴く者の心を揺さぶるのか?その秘密は一体何なのか?』このタイトルコピーに惹かれ、“たけしの誰でもピカソ”を見たのが、そもそもの始まりだった。何気なく見たその番組は、いつの間にか私を“一青窈”という芸術世界へと導いた。歌を伝える事に対する飽くなき追求=詩に置いても文字のレイアウトや言葉の響きを大切にする事(これは凄く面白いので是非歌詞カードを開いて見て下さい)、香りや匂いを大切にする事、色に関しても一青窈というアーティスト性が表現されている事。そしてそれを心から伝えようとする惹き迫るパフォーマンスは“作家”ではなく“芸術家”に近い感覚。「もらい泣き」しか知らなかった私は、たちまち彼女の虜となった。

一青窈はピカソ!?
冒頭でも述べた通り、彼女の芸術性には素晴らしいものがあった。ライブ会場を装飾する舞台セット、独特の感性に彩られた鮮やかかつ妖艶なステージは、四次元軸がクロスオーバーするようなアシンメトリーで構成。『ハナミズキ』とも『いろはもみじ』とも感じさせる巨木や、『翡翠』や『金魚すくい』を臭わせる水辺など見ているだけでも癒される風景。そこへ投影される歌の数々…韻を踏んだり、言葉遊びを多用した所謂“一青語”を音に乗せ、客席へと運んで来る様は目で見ても耳で聴いても楽しめた。また、昭和歌謡曲風のビックバンドサウンドが、オリジナリティーを強く放ち出した『江戸ポルカ』、『イマドコ』〜『犬』〜『もらい泣き』への迫力ある瞬発力、『月天心』や『ハナミズキ』で見せた強いメッセージ性など、上げればきりがないシンガーとしての表現力、力量など、全てのキャラクター性やフレーバーが一体となり、一青窈という世界観を作り上げているのだと強く感じた。それはまるで真っ白いカンヴァスに、オリジナルのマテリアル抽象性うぃさらにデフォルメさせたような作っていくよう。…彼女は紛れも無い天才だ。

愛に飢え、愛に満ちあふれた人、一青窈
「幼い頃に亡くした父と、高校時代に亡くした母の影響」が故、彼女自身がとても愛に飢え、だからこそとても愛に満ちあふれている人、一青窈。『月点心』の前のMCで彼女が言った言葉「いよいよ自分はひとりぼっちだ(お姉さんが結婚することになり)と、ふらふらと外を歩いている時、お姉さんから電話があって“みんなが見てる月は一個だから…だから、『だいじょうぶ』”と言われ、ぽろぽろと気持ちのいい涙を流すことができた」………大きな意味での愛を歌う彼女の歌がここまでリアルに、そして、人肌を感じさせるのは、彼女だけが体験した過去から言葉があふれ出ているからだろう。そして、名曲『ハナミズキ』できかせた“平和”への想い…ステージ上から降って来た花びらに皆さんならどんな思いを映しただろうか?私には明るいミライが映って見えた。愛があればきっと何でもできるというのもいいもんじゃぁないか。実に幸福な一時をありが十々。

SET LIST
1.今日わずらい
2.翡翠
3.心変わり
4.いろはもみじ
5.夢なかば
6.面影モダン
7.金魚すくい
8.江戸ポルカ
9.音木箱
10.年年歳歳

11.あこるでぃおん
12.月天心
13.イマドコ
14.犬
15.もらい泣き
16.アリガ十々

EN1.一思案
EN2.ハナミズキ
EN3.望春風  

 

―――一青窈より「ハナミズキ」発売によせて―――――――

そもそもこの詩を書いたのは、911のテロの事件を受けて、でした。
何かもっと人と人はやさしさを交換できないものかなぁ、と。
つらつらつら、と
自分の周りにある平和を思ってみたら
そこかしこに転がってました。
例えば下校の時に友と時間を潰した二子玉川のドッグウッド(花水木)プラザ。

明治45年当時の東京市長だった尾崎行雄、が
アメリカに桜を贈った返礼として贈られらたのが花水木。
ワシントンのポトマック湖畔は桜で彩られ
日本の家庭や皇帝には花水木が花をつけている。
尾崎の目指した日米親交は十分すぎる程図られた、といえます。

何年もかかってお互いの思いが
いまだカタチとして目に見え
花として実を結んでいるというのが美しいなぁ
と、

「ハナミズキ」は
自分の大切なひと、とその人の好きな人が
せめて100年続けばいい

そういう願いを込めて創りました。

 

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