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倭−YAMATO インタビュー!

DOMO PRESS

2018/05/01

倭−YAMATO ----interview①
 
世界を駆け巡る和太鼓パフォーマンス集団『倭−YAMATO』。1993年結成、奈良県は明日香村を拠点に集団生活を営みつつ、これまでに世界54ヶ国・700万人を動員。圧倒的なライブ力は、海外でも高い評価を受け、【肉体の音楽】等と称され多くの人々が魂を揺さぶられてきた。今こそ、“和太鼓”という既成概念を捨て、日本人に最も見て頂きたいステージの一つ。チームから小川正晃(代表)、香川県出身の加藤純、ムードメーカーでもある二戸未利華に話を聞いた。
interview & photo aco yamazaki

 
▲写真左から小川正晃(代表)、加藤純、二戸未利華


STAGE!
5/26(土)レクザムホール(香川県県民ホール)小ホール


 
■実は78年前にワークショップで香川に来られた際、取材をさせて頂いたんです…
小川「確か小学校での記憶が…」

■そうです!その時から和太鼓って一言では言い表せない奥深いものだなと実感したのをよく覚えています。加藤さんは出身が香川県という事で、グッと私たちには近い存在ですが、当時はまだ倭に加入してはなかったんですか?
加藤「丁度高校卒業したばかりだったので、まだ存在も知らなかったですね。僕は高松の一宮出身なんですよ。小さい頃から田村神社で獅子舞もやってましたし、10歳くらいから太鼓の存在を知って、そこからやり始めました。高校卒業した頃に倭が高松公演でやって来て、それを観に行った時にこれは凄いなと…入りたいなと」
小川「確かその公演の撤収作業の時には、裏で既に手伝ってたんですよ(笑)で、入って直ぐのオランダツアーには連れて行ってましたね。帰って来て直ぐ辞めたんですけどね」

■え?!辞めた?
加藤「そうなんですよ。これは無理やなと(笑)」
小川「しんどかってんな(笑)まぁでも彼はもった方ですよ。夜寝て朝起きたらおらんようになってる子いっぱい居ますから…夜逃げですよね(笑)」

■で?
加藤「で(笑)休みをもらったと親には嘘を付いて実家に帰って来て。あまりにも休みが長いから結局バレたんですけど(笑)そしたら母親が、僕が倭に入って世界中行くと思って、世界地図を買って来ていて…これから行く所全部印を付けていこうとしていたんですよね…。でも僕が帰って来たからオランダにしか印が付いてなかったんですけど(笑)これはまずいなと」
小川「母親の愛情ですよね、お母さんが彼を踏みとどまらせたというか…」

■いいお母さんじゃないですか!
小川「そうなんですよ!自分の力で踏み留まることも凄く大事ですけど、何かの力で踏み留まらざるを得ないという、そのパワーって凄いと思うので。それも運命というか神様の思し召しというか。自分がやろうと思ったというよりは、やらなければならない事があるから起き上がったというか。僕もそうなんですよね」
加藤「やらないといけないなと思いますね。逆にここでしかやれないとも思いますので!」

■大変やと思うけど、応援しとるけんほんま頑張りよ!
小川「あぁ〜また一人頭が上がらん人が出来たで!(笑)」
加藤「いや、ほんまにありがとうございます!!頑張ります!!」

■和太鼓=男性のイメージが強かったんですが、驚いたのは女性メンバーも半分くらいいらっしゃるんですよね?
小川「そうか、そうですよね。和太鼓ってイメージがやっぱりあって、おっちゃん出て来てふんどしかな?!法被にはち巻き?みたいな感じですよね(笑)でも僕ら全く違いますし…」
二戸「そうなんです!むしろ女性の方が元気なグループですね(笑)」

■二戸さんは女性メンバーでもムードメーカー的な存在ですが、加入するきっかけって何だったんですか?
二戸「元々子供の頃から地元宮城で、アマチュアの和太鼓グループで長い間やっていたんですが、大人になった時に将来もプロとしてやっていきたいなと思いまして…。何個か他のグループも検討したんですが、やっぱり倭が一番カッコイイなと。後は母親が倭のファンっていうのもあって(笑)」
小川「お母さんが入りたかってんな?倭に」
二戸「あと30歳若かったらって言ってました(笑)」

■実際入ってみていかがでしたか?
二戸「想像を遥かに超えるような事をやってましたね。毎日毎日あれやってこれやってって過ごしていたらいつの間にか筋肉付いてたし、演奏も出来るようになってたし、周りにも溶け込んでいたっていう…(笑)」
小川「入った瞬間から本当にやる事がいっぱいあるから、考えてる時間もないというか、目まぐるしいと思いますね。考える時間がきっとあったら皆辞めてるかもしれないです(笑)」

■小川さんはそもそも何故こういった集団を作ろうと思ったんですか?
小川「作ろうと思って作ったという感じではなくて…気づいたらそうせざるを得なくなっていたという感じですかね?(笑)元々は神社の夏祭りに出たのがきっかけで…その時はグループを作る気は全くなかったんですけど、その演奏を見た人たちから、ここでやってよ、あそこでやってよとリクエストをもらうようになったんです。それがまぁなんとなくグループの形になってアマチュアの活動をしていたというか。ところがある時、メンバーの何人かがもっと太鼓やりたいからって会社を辞めて来たんですよ(笑)仕事をやりながらやっていくので良かったのに(笑)それでもお茶を濁しながらやっていて…。お金も無かったから自然と共同生活になっていったし、ストリートライブじゃないですけど、そういうので小銭を稼いで細々と食べていたんですが…。今思うとそれが倭としての活動のきっかけみたいなものかもしれませんね」

■なるほど、凄く自然に…だったんですね(笑)もっと確固たる決意みたいなものがあったのかと思っていました
小川「そうなんです(笑)だから今だに言うのは、やりたくてやってきた事は何も無い!と(笑)やらなしゃーないからやってきた事の方が多い!て」

−−− 一同爆笑 −−−

■とは言え、やはり25年も活動を続けて来られたわけですから、そこには理由がありますよね?
小川「そうですね、仕事を辞めてまでやるという魅力があったんだと思うし、自分もそういう仲間と何かを創る・挑戦する、という部分では凄く魅力を感じていましたね。そうする事で人に喜んでもらえるというのが一番の楽しみでもあったし。その勢いみたいなものがガーッと膨らんできて、俺ら世界一になろうや!みたいなのが合言葉になってきた時があって。何が世界一分かってへんのに(笑)」

■そこから世界を目指したという…
小川1998年にお金を貯めて、スコットランドのエディンバラで開催された世界最大のパフォーミング・アーツのフェスティバルに出場したんです。これは世界進出の足がかりになるフェスで、一ヶ月間自腹で劇場を借りて公演を打つ、そこへ世界中のプロモーターが見に来るというもの。そこへ挑戦しに行ったんです。その日のご飯代もストリートパフォーマンスで稼ぐといったようなギリギリの状態だったんですけど。お客さんも初日は全然入ってなくてね(笑)ところが翌日の朝地元の新聞に僕らがデカデカと掲載されていたんです。しかも5つ星…!で、その日の朝にチケットがどのくらい売れているか聞きに行ったら、なんと!君らのチケットは最終日まで売り切れたよって」
 
 
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